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【講義レポート】GX特論 第2回|杉山 慎 教授「氷河・氷床のいま」
2026.06.18
地球の氷に何が起きているのか?
第2回となる今回は、杉山慎教授(北海道大学 北極圏研究センター/低温科学研究所)をお迎えし、講義が行われました。極域の最前線で進む急激な変化と、地球環境、そして私たちの社会へ及ぼす影響について、現場主義に裏打ちされた熱い講義の模様をレポートします。
異色の経歴がもたらす、ミクロとマクロの融合
杉山教授は、原子や結晶のナゾを解き明かす「物性物理学」の出身です。民間企業で光ファイバーの開発に携わった後、青年海外協力隊としてアフリカ・ザンビアでの教員経験を経て、地球科学の領域へと転身された異色の経歴を持ちます。
1000分の1秒単位で物質の変化を測定してきた「ミクロの視点」を、南極や北極、山岳域の「巨大な氷河・氷床(マクロ)」へ応用。実験室で培った精密な観察力、人工衛星による広域的な視点、そして自ら極域に足を運ぶ「現場主義」を融合させ、地球温暖化の本質に迫ります。
対話から始まる、氷の世界への旅

「この白いのは何?」
開口一番、NASAの衛星写真を映し、学生に対して質問が杉山教授から飛び出します。

「じゃぁ次、これはなんだと思う?」
講義は学生への積極的な問いかけから始まり、教室内には心地よい緊張感が漂います。そしてグリーンランド、南米パタゴニア、スイス・アルプスなどの壮大な写真を通じて、学生たちは一気に氷の科学の世界へと引き込まれます。
氷の科学が語る、地球の「いま」
地球の淡水の75%を貯める氷河・氷床は、気候の巨大な調整装置です。
しかし現在、融解による海面上昇(2100年までに約0.4〜0.8m予測)や、南極での年間92 Gtもの氷の喪失など、深刻な危機に直面しています。
氷の変化を理解することは、沿岸都市の安全保障、インフラ、食料生産、そして国際社会の安定に直結する極めて重要なテーマなのです。
氷河の底へ挑む、熱水掘削と「現場主義」
一般的な氷河研究が「広い範囲を年単位で観測し、長期的なトレンドを把握する」アプローチをとるのに対し、杉山教授のアプローチは真逆です。
見つめるのは、狭い空間で起きる“数分〜1日単位”の微細な変化。
昼夜で劇的に姿を変える氷の“鼓動”を捉えることで、従来の観測では見えなかった現象──氷が流れ出す瞬間、底面で水圧が跳ね上がる瞬間、氷が海へ崩れ落ちる瞬間──を鮮明に立ち上がらせます。
その核心にあるのが、熱水を使った氷河の掘削(ホットウォーター・ドリリング)です。
高温の水を高圧で噴射し、厚さ数百メートルの氷に垂直の穴を開け、氷河の底へ直接アクセスする手法です。氷の下に広がる水路、底面の水圧、氷と岩盤の摩擦、極限環境に生きる微生物などは、衛星観測では決して見えない「氷河の内側の世界」であり、熱水掘削は、その未知の領域に人類が唯一触れることを可能にする技術です。

南極氷床で掘削された氷コア
氷河変動の最前線「カービング氷河」
近年特に注力しているのが、海や湖に流れ込む「カービング氷河」の末端部です。温暖化した海水が氷を下から融かし、氷山として切り離される「カービング」が連鎖的に起きる変動の最前線です。熱水掘削による底面データ、数分単位の現場観測、そして人工衛星のマクロな視点を重ね合わせることで、氷が「なぜ加速して消えていくのか」という問いに、世界で最も近い距離から迫っています。
氷の下は、人類にとってまだほとんど手つかずのフロンティアです。過酷な極域での観測は、机上のデータだけでは決して見えてきません。実際に氷の上に立ち、五感で感じ、身体で受け止めることで初めて「今、本当に起きていること」が理解できます。この姿勢は、北海道大学のフィールドワークの歴史に脈々と受け継がれてきた伝統そのものです。
講義の最中、杉山教授は学生たちに向けて「フィヨルドや氷河を、ぜひ実際に訪れてみてください」と何度も繰り返しました。
講義の前後にも自ら学生のもとへ足を運び、「何の研究をしているの?」と気さくに声をかけます。
その姿勢は、単に教室でデータや写真を見るだけでなく、自らの足を運び、自分の目で見て、その圧倒的なスケールや冷たい空気を五感で感じ取ってほしいという、先生の強い願いが込められているようです。
現場でしか得られないリアルな衝撃こそが、次の探求への原動力になることを、誰よりも先生自身が知っているからです。
氷が急速に消えていく
講義では、氷河・氷床の融解が加速するメカニズムが、最新データとともに示されました。

① 海との接触による底面融解とカービング
氷河が海に触れると、温暖化した海水が氷の下部を激しく融かす。 さらに氷山として切り離される「カービング」が起きることで、氷が海へ流れ出すスピードが加速する。 南極半島のラルセンB棚氷の崩壊は、その象徴的な事例です。
② 氷表面の暗色化(ブラックカーボン・藻類)による融解の加速
グリーンランドなどの極域では、大気中のブラックカーボン(煤)や、氷の上で繁殖する藻類・微生物によって、 氷の表面が黒く、灰色に“暗色化”する現象が急速に広がっています。新雪や白い氷は太陽光の60〜80%を反射しますが、黒ずんだ氷はそれらの光の多くを吸収してしまいます。 この「白から黒へ」の変化が、融解をさらに加速させる悪循環を生んでいます。
氷が地球にもたらす6つの役割
講義では、氷河・氷床が果たす役割が明確に整理されました。
それは、単なる“冷たい氷の塊”ではなく、地球環境を支える巨大なインフラであることを示しています。
【役割】
- 1.淡水の貯蔵(地球の淡水の75%を保持)
- 2.海面上昇のコントロール
- 3.海洋大循環の調整
- 4.太陽光の反射(アルベド効果による気候安定)
- 5.地形形成(フィヨルドなどの造形)
- 6.過去の気候を記録(氷コアによる古気候の解明)
南極やグリーンランドの氷床は、数万年から数十万年かけて降り積もった雪の記憶を閉じ込めた「地球のタイムカプセル」です。
氷床コアを掘削し分析することで、過去40万年以上にわたる気温変化や大気組成の推移を詳細に紐解くことができます。これほど長期にわたる地球の歴史を直接的な物質として保存している場所は、他にはありません。
氷が失われるということは、これらの機能が同時に失われることを意味します。
専門領域の「越境」社会科学、そして地域のステークホルダーと共に
極域の変化は、遠い世界の出来事ではなく、地域社会の暮らしや文化、産業に直結する問題です。だからこそ、自然科学だけでなく社会科学、そして地域のステークホルダーが一体となって協働することが不可欠です。
北海道大学には、長年にわたる寒冷地研究の蓄積と、多様な分野の知が集まる豊かな土壌があります。文理の壁を越えたダイナミックなネットワークこそが北大の強みであり、学生たちはここで「生きた学問」を学ぶことができます。
正解のない時代を生きる学生たちへ
予測不可能な事態が連続する過酷な極域の現場では、あらかじめ用意された「正解」はありません。
五感を研ぎ澄まし、身体で現実を受け止めてきた杉山教授だからこそ、これからの不確実な時代を生きる学生たちへ向ける眼差しは、どこまでも現実的で、温かさに満ちていました。
小さい頃から地球規模の環境危機を身近に感じて育ってきた今の学生たちは、組織の看板に依存せず、自らの武器(専門性)を磨いてしなやかに生きるタフさを本能的に備えているようにも感じられます。
今回の講義は、極域の未来を学ぶ場であると同時に、激変する世界の中で机上のデータに惑わされず、いかにして自分の「軸」を持って生きていくかを、研究者の先輩の背中から学ぶ貴重な時間となりました。
次回の「GX特論Ⅰ」予告
日時:6月24日(水)14時45分~
テーマ: 世界・日本の脱炭素化に向けたエネルギーシナリオ分析
講師:大城 賢 氏(北海道大学大学院地球環境科学研究院 准教授 )
次回は、世界および日本がめざす脱炭素の道筋を描く「エネルギーシナリオ分析」の第一人者をお招きします。
【用語解説】
物性物理学
金属、半導体、氷などの「物質」の性質を、原子や電子といった超ミクロな視点で観察・分析する物理学の分野のこと。
特徴: 微小な変化を精密に捉える技術は、光ファイバーなど最先端テクノロジー開発の基盤となる。
杉山流の応用:この「ミクロのサイエンス」を、真逆のスケールである「巨大な氷河・氷床」というマクロな地球科学の領域に応用し、独自の観測スタイルを確立。
氷河 雪が氷になり陸の上を流れるもの
氷床 南極やグリーンランドを覆う巨大な氷河
カービング氷河
海や湖に流入する氷河。「カービング」は氷河の末端から氷塊が剥離し、氷山として海や湖に落下する現象。その様子が牛の「出産(calving)」に似ていることから名付けられた。
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